一瞬にかける集中力を手に入れる一日
2023年6月26日(月)10:30~16:30
【会場】東京国際フォーラム ホールD1
書く・聴く・座る の3つを体験
チケット前売り券
お電話でチケット予約をご希望の方は、TEL. 03-3556-1477(中島まで)
※このイベントについてのご質問、お問い合わせは、
M9notesチーム中島までお願いいたします。
(お問い合わせフォーム・メール・お電話 03-3556-1477)
6月26日のタイムスケジュール
9:45 開場
10:30(90分)
第一部「書く」
ワークショップ
「夢を視覚化9マスノートで夢を叶える」
講師:中島正雄
12:00(30分)
昼休憩
軽食
12:30(60分)
第二部「聴く」
ピアノコンサート
「みなさんの頭の中と「耳」をつなぎたい」
講師:音楽家 秦万里子
※軽食をとりながらお聴きいただてもかまいません
13:30
休憩
14:00(90分)
第三部「座る」
法話
「一瞬一生」
講師:神戸・大本山須磨寺 寺務長 小池陽人
15:30(20分)
瞑想体験
※椅子に座った状態で瞑想体験いたします
15:50(40分)
交流会
16:30
終了
N式9マスノート術セミナー vol.1へようこそ!
M9notesチーム 中島正雄
みなさま、こんにちは。中島正雄と申します。2023年6月26日(月)に東京国際フォーラム・ホールD1で第一回N式9マスノートセミナーを開催します。
今回のテーマは「一瞬にかける集中力を手に入れる1日」です。みなさまには、書く、聴く、座るの三つの体験をご用意いたしました。この体験で、みなさまが本来持っている自分の能力に気づき、その能力を取り戻して、ご自身の人生をますます豊かにしていただきたいと思います。
一つ目は”書く”を体験します。わたくし中島が、9マスノートの使い方のワークショップをいたします。みなさまは、これから体験することを9マスノートに書いて、紙に書いて残していだきます。
二つ目は”聴く”を体験します。わたしがリスペクトしている音楽家、超右脳人間、秦万里子さんのピアノコンサートです。秦さんの時間は耳から脳に。「耳」に注目です。みなさんの頭の中と「耳」をつなぎます。
三つ目は”座る”を体験します。わたしの好きなお坊さん、神戸にある真言宗のお寺、大本山須磨寺の寺務長・小池陽人さんの法話です。頭で考えるよりもまず体験、それが仏教です。
法話の後は、その場で、椅子で出来る瞑想体験です。日常の喧噪から離れて呼吸を調え、ゆっくりと座る時間を一緒に過ごしたいと思っています。
素晴らしい体験をご用意しました。人生を豊かにするための一つは、人と会うことです。みなさまと一緒に体験できることをうれしく思います。ぜひご参加ください。
9マスノートのルーツの”マンダラ”は、およそ1200年前に遣唐使だった空海さんが中国から日本に持ってきました。今年は空海さんが生まれて1250年の記念の年。このような年に、このようなイベントが開催出来ることに感謝します。
秦万里子ピアノコンサート
「みなさんの頭の中と「耳」をつなぎたい」
音楽の起源はいろいろ言われています。例えば、、、
・動物から身を守るために声で仲間にそれを知らせた
・鳥の鳴き真似をして美しさを再現しようとした
・肉体労働の時、同じタイミングで押したり引っ張ったりできるように声を出した
などなど諸説はいろいろありますが、なんといっても「祈り」が、私の中の断トツ1位の理由ではなかろうかと思っております。
今でこそ、音楽は聴くためだけに作られているものが殆どですが、その昔むかしは、神様への伝言のために作り、歌って祈りを捧げていたと言われています。
まだまだ天文学も、医学も、気象学も、未知のものだった時代、日照りに、病気に、長雨に、日食に、様々な現象が「不思議」で「神様の仕業」で「悪霊の祟り」であった時代、民は踊って歌うことで神の怒りを鎮め、なんとか物事が好転しますように、我が子の熱が下がりますように、と火を囲んで祈ったのでした。そこから時を経ても苦しい人々を救ってきた音楽のあり方は変わっていないとも思えます。反戦歌、飢餓を救う基金を集める歌、差別や厳しい労働下で慰めてきた音楽は生きていく上で食べることも、着ることも、住むこともできませんが、心の救いでありオアシスとして存在してきました。
一方、音楽そのものは楽譜と共に大きな成長をし、世界のあちこちで、聞いたことのない音楽でも「楽譜」という表記によって再現できるようになったのは素晴らしいことです。が、いつの間にか音楽そのものよりも、それを正確に再現するためのツールとなってしまうことがあるのはとても残念なことでもあります。耳と音楽よりも、目と音楽の方が仲良くなってしまうのですね。それはとても残念なことです。
M9ノートは、頭の中のものを9マスにアウトプットし、目から脳に刺激を与えます。
私の時間は耳から脳に。このところ「目」に主導権を奪われている?「耳」に注目!みなさんの頭の中と「耳」をつなぎたい、そして、大昔のように、今の自分や世界を歌にして、その場で発信したいと願っています。
小池陽人(神戸・大本山須磨寺 寺務長)
法話「一瞬一生」
先日、友人が次の様なことを話してくれました。「今、人工知能(AI)が開発され、目覚ましい進歩を遂げている。いずれ開発が進めば、人間でなければできない仕事はほとんどなくなってしまうのではないだろうか。そもそもAIは、人間が幸せになるために開発されてきたものであるはずなのに、結果的に人間から仕事を奪い、不幸な人たちが増えていく。本末転倒だと思わない?」と問いかけられ、確かにと思ったのです。
仏教にとって一番大切なことは「智恵」の獲得です。智恵とは、一体何なのでしょう。それは、「諸行無常」である世の中で、一瞬一瞬を真剣に生き抜く力のことだと私は思っています。それは一瞬一瞬にかける集中力とも言い換えられます。便利になったことで集中力を養うことが難しい世の中になってきていると思うのです。
お釈迦様がおられた二千五百年前のインドでは、文字文化がなかったそうです。つまり、人から人へ物事を伝える手段は、口から発する言葉しかなかったのです。お釈迦様の説法を聞くために、人々は苦労してお釈迦様のもとまで旅をし、お釈迦様のお話の一言一句を聞き逃すまいと、ものすごい集中力で耳を傾けたに違いありません。そして、お釈迦様の話を聞くことができなかった人たちに、一言一句間違えないように伝え、それを聞く人たちもまた、真剣にその話を聞いたことでしょう。このように口から口への伝承によって、仏教は後世へと伝えられていったのです。深淵なる仏教の教えが最初は話し言葉のみによって伝えられてきた事実に驚かされます。我々は、生きている中で、その当時の人のような集中力をもって人の話を聞くことがあるでしょうか。現代では、文字があるのでメモもできればボイスレコーダーで録音することもできます。しかし、「聞き逃しても、録音していれば、また聞き直すことができる。」と思って聞く話と、お釈迦様の時代の、「聞き逃したらもう二度と聞くことができない。」と思って聞く話とでは、その緊張感はまるで違います。この一瞬にかける集中力こそが智恵を得る為に必要不可欠なものなのです。
「一瞬一生」という言葉があります。この一瞬に一生をかけるという意味です。我々は、過去に戻ることもできなければ、未来にいくこともできない。人が手にしているのは現在の一瞬のみです。現在の事柄に対して、自分の力の及ぶかぎりの最善を尽くすことで、人生そのものが強靭になっていきます。いろいろ迷いはあっても、目の前のことに全力を尽くす。この繰り返しで、きっと光が見えてくるはずです。便利で快適になった現代だからこそ、今一度「一瞬」にかける集中力の大切さを見つめなおす時ではないでしょうか。瞑想という仏道修行は、まさにこの集中力を養い取り戻すための修行でもあるのです。
日常の喧噪から離れて
呼吸を調え、ゆっくりと座る時間を
共に過ごしたいと思っております。
頭で考えるよりも
まず体験!それが仏教です!
お待ちしております。
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