青色本『夢を視覚化する・9マスノートで夢が叶う』の21ページに『「の」の字に書く」』という章があります。9マスノートはどこから書くのか、順番に決まりはありません。どこから書いてもいいとなると意外と難しいので、一つ作法を提案しています。それは、まん中のマスから「の」の字を書くように、周りのマスを埋めて行く書き方です。
本にはあえて書いていませんが、9マスは仏教の金剛界マンダラからヒントを得ています。金剛界マンダラには方位があって、下が「東」です。何も考えなければ、東からスタートして、「の」の字を書くように、時計回りにマスを埋めて行くといいです。わたしも長年このやり方です。
先日お邪魔したセミナーで、『どうして「の」の字なのか』について新しい説がありました。時代は江戸時代、徳川家康まで遡ります。家康、秀忠、家光の徳川三代将軍に仕えた僧侶がいます。天台宗の僧侶、天海です。天海は後に「慈眼大師」の追号を授かります。追号を受けたのは5人います。一人目は天台宗の開祖「最澄」で「伝授大師」。いちばんなじみがあるのは空海さんの「弘法大師」ではないでしょうか。ちなみに、日本にマンダラを持って来たのは空海さんです。
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江戸時代、天海さんは江戸城(今の皇居)を中心として「の」の字を書くように、渦巻状のお堀を作って江戸の街を「の」の字で発展させました。今の東京です。
『江戸の陰陽師(おんみょうじ)』ー天海のランドスケープデザインー宮元健次氏著の114ページより引用します。
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1.無限に成長できる
かつて平安京は、当時世界最大の都市である中国の長安を模して、碁盤の目のように歴然とした縦横の道による構成をとったが、この方法では都市をこれ以上成長させることができない。
しかし、「の」の字型に発展させることによって、都市を無限に成長させることができる。
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徳川家がおよそ250年続いたように、わたしたちの考えも「の」の字に展開すると発展するようです。天台宗と真言宗。最澄と空海。天海と空海。そして、わたしたちは今、東京の「の」の字の中で仕事をしています。実に面白い。
(中島正雄)