日本のオヤジに威厳があったころ、家でオヤジが座る場所は床の間の前、つまり、その部屋で一番いい場所でした。やがで、テレビが一家に一台の時代が来て、テレビがその部屋の一番いい場所に置かれるようになると、オヤジの威厳はだんだん失われていったような気がします。そんなオヤジの座を奪ったテレビも、一部屋に一台になり、今はYouTubeとかで、居場所を持て余しています。
テレビが全盛期だったころ、オヤジが家にいる週末のテレビ番組の主導権は、それでもオヤジにありました。オヤジが観るテレビといえば、NHK、笑点、大河ドラマ、野球、プロレスでした。オヤジは、セブンスターを吸いながら、サントリー角を呑み、上機嫌でよくプロレスを観ていました。
そのころの金曜の夜のプロレスのヒーローは、ストロング小林、坂口征二、そして、アントニア猪木。悪役は、サーベルを持った、タイガー・ジェット・シンでした。必ず場外乱闘があって、誰かが額から流血しました。
猪木の決め技は、延髄蹴り、ブレーンバスター、コブラツイストと卍固めでした。そのころ、わたしは小学生で、プロレス中継の翌日は必ず、教室の後ろでプロレスごっこがありました。猪木のコブラツイストをやるわけです。アントニオ猪木は僕たちのヒーロー。アントンリブにスペアリブを食べに行ったこともあります。タバスコを広めたのも猪木さんだ。実は一度だけ、レストランでスーツに赤いマフラーの猪木さんを見かけたことがありました。とても声などかけらないオーラでした。子どものころのヒーローは、大人になってもヒーローです。
アントニオ猪木さんが亡くなったことをニュースで知りました。大ショックでした。われらのヒーロー猪木さんも病には勝てませんでした。猪木さんが亡くなって、昭和の火がまた一つ消えたように思いました。でも、わたしの中の猪木さんの闘魂は消えない。
中島正雄