生まれたときからキーボード

先日、29歳のコンピュータ好きの経営者の方に、わたしが所蔵していたコンピュータ(マイツール)の書籍や資料を一式、”これからは君に頼んだ”と念をこめて譲り渡しました。数日後、彼に会うと「キーボードアレルギーというのがあったのですね」と言います。30年前、確かにありました。「僕は生まれたときからキーボードなので……」。

30年前はパソコン革命の真っ只中でした。革命は起こっているときは気づかない、後になって、あのとき革命が起きていたんだと気づくとは本当です。わたしも今となってはキーボードを当たり前のように使っています。原稿を書くときは、iPad+キーボードを使っています。パソコンなら秀丸、iPadならiAのエディタアプリでないと調子が出ません。それは、紙にペンで書くより早いし楽だからなのかもしれません。

でも、キーボードで文字を入力する早さは、人間の頭で考えるには早すぎるとようです。紙にペンで書くスピードが自分の頭で考えるには丁度いいようです。どちらがいいのかは自分で決めるしかありません。手書きで原稿を書き続けている林真理子さんの「作家が手書きにこだわる理由」という記事を見つけました。素晴らしい記事で何回も読んでいます。「負荷が少ないから、いくらでも書けるのでしょうね。文章がだらだらと続いて、表現がしつこいと感じることがあります。手は切り上げるタイミングを知っているのです」。

わたしはテレビなどの番組で内容の意図とは違いますが、食べるシーンで箸の持ち方が気になったり、書くシーンではペンの持ち方、書き方の所作が気になってしまいます。こんなこと言っているから儲からないだな〜と自虐的になっています。

「手書きにこだわる作家は少なくない。効率を求めてワープロやパソコンを試したが、結局は手書きに戻った作家もいるとか。」わたしも、コラムを手書きにするか。手書きにすると集中力が出る思う。

今日も、「M9notes」に来てくれてありがとうございます。
「生まれたときからキーボード」のフレーズを聞いて、わたしは、着物姿の薬師丸ひろ子さんを思い浮かべてしまいました。それは「三代前からマーメード」だった。

中島正雄