今年の目標の一つに「『やさしくデジタル』復刊」を書きました。やりたいことを紙に書き出して、頭の中から忘れるつもりが、ふと思うと、どうやって復刊しようかと考えてばかりいます。復刊は、過去に2回ありました。同じようなことを繰り返しています。
『やさしくデジタル』というのは、”一人新聞”というものです。わたしは1998年にコンピュータリブ社を起業しました。マネジメントゲームの西順一郎先生から、「会社を作ったら、マイツールで名簿を作って、新聞を出しなさい」とアドバイスをいただきました。わたしは、親戚や友だち、名刺交換をした方、お世話になった方の名簿を作りました。そして、A4の紙を横向きにして8枚、裏表で16ページの新聞をホチキス留めして、毎月作って郵送することにしました。
創業当時は、コピー機もなく、勉強仲間の印刷会社にお願いして作っていました。部数も順調に増えて500部くらいになりました。出したかと思うと直ぐに次の号に取り掛かる、わたしの仕事は『やさしくデジタル』を作ることでした。わたしたちの新聞をバインダーにファイルして保存しているお客さまがいらしゃいました。うれしさ半分、恥ずかしさ半分、それからよりお客さまのことを考えて、真摯な気持ちで作りました。ある会社を訪問したとき、その会社の社長に「中島さん、いつもこんなものばかり送って来て、もう要らない」と言われました。わたしは、それから新聞を作れなくなってしまいました。
それから何年か経って、福岡に出張で行ったときに、勉強仲間の小澤徹也さんに会いました。小澤さんにも新聞を送っていました。「中島くん、どうして新聞やめてしまったの、またやればいいのに」と言われました。前向きになれるとてもうれしい言葉でした。自分勝手に送る新聞だけれど、読んでくれる人が面白いと思ってくれる新聞にしたい、しかも長く続けられるようにしたいと、小澤さん相談しました。
アイデアマンの小澤さんは、新聞はA3二つ折りでホチキス留めなしでいいのではないかと。なるほど、これならホチキスの手間も省けるし、ページ数も紙も少なくて済む、しかも、郵便でも封書の最低料金で出せます。内容は、年間シリーズで、日本経済新聞の「私の履歴書」みないな読みものがあった方がいいと。わたしにしか書けない、わたしだから書ける「私の履歴書」を作ったらどうだろうかとアイデアをもらいました。
そのとき直ぐに頭に浮かんだのは、広島の井辻食産の井辻栄輔さんでした。わたしは、井辻さんにその場で電話してお願いをしました。新聞は一年間、毎月発行することができました。井辻さんの私の履歴書を見てくれた、マンダラ手帳開発者の松村寧雄先生から、「来年は私を書いてください」というとてもありがたい話をいただきました。小澤さんのアドバイスが光りました。『やさしくデジタル』が復刊できたのは小澤徹也さんのおかげでした。
(つづく)
今日も、「M9notes」に来てくれてありがとうございます。
まだ、「2022」と書いてしまいます。
この話は、思いのほか長くなってしまいました。
中島正雄